本田未央というシンデレラガールズ唯一の犠牲者

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ネットの未央叩き(未央が憎いとは言ってない)

TVアニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』一期が完結した。

 どこまでも優しい世界と優しい視聴者に取り囲まれたシンデレラガールズワールドで1人不穏な情勢を身に纏っているのが本田未央だ。ネタ的な叩きやファン対立すら殆ど無いこの作品で、未央だけが唯一本気のヘイトを買っている。

 事務所内トラブル、仕事上の失態、人間関係不和、自意識過剰、赤恥、孤立、廃業、という現実世界のネガティブ面を一身に背負うのが未央ストーリーだったからだろう。デレマスワールドの完璧な優しさは未央という異分子さえ居なければ完成する。

  6話前後で激しく未央を叩いてた一部視聴者達は、本当にただストーリーに入り込んで本田未央という15歳少女の失態を憎んだのだろうか?違うと思う。むしろ未央回の未央を拒絶してラウドに叩くことで、そのストーリーを作った製作者にNOを突きつけたかったのではないか。

未央に汚れ役をさせた製作陣の思惑は?

   未央が背負わされた挫折と悲しみとネガティブさは、現実世界基準で見ればありふれたことだ。しかしデレマスの優しい世界で他のキャラ達のフィーチャー回と比べていくと、やはり1人だけ現実的なツラさと嫌さが際立っている。他のキャラ達に与えられる障害はおおむね力量不足や注意不足や不運によるものだが、未央だけは増長や逆ギレや当り散らし、という人格的な問題として現れている。周囲の人間の気持ちを踏みにじるような攻撃性を出したのもあの世界では未央だけだ。

 何故未央だけが悪目立ちするような一種の悪役・汚れ役を背負わされているのか?そこに相応の理由があればそれはむしろ「特別扱い」のキャラだが、そうでなければ「便利に使われた」にすぎない1人だけ粗末待遇のキャラだ。未央はどちらだろうか?

被害担当艦として使われた本田未央

 未央のユニット・ニュージェネレーションは最終回で「失敗したライブのやり直し」というほかのユニットには無いモチベーションを用意されていた。そういう意味では優遇的特別扱いかとも思える。が、ユニットの問題として設定するならば3人連帯による失敗なり仲違いがあったほうが自然ではなかったか。

 そうではなくほぼ未央単独で暴走させたのは、制作陣がネガティブ展開によってニュージェネレーションの3人まるごとイメージダウンしてしまうリスクは避けたかったからだろう。未央に突出して汚れ役をさせれば6話7話の視聴者ウケが最悪に転んでも商品として腐るのは未央だけで済む。特に渋谷凜は人気トップレベルを狙える素材で、変な味噌をつけるリスクは微塵も冒せないだろう。 

 こうして考えてくると「わざわざネガティブ展開をやる割には腹を括ってないのではないか?」という製作陣への疑念が生まれる。

デレマスで扱われる「シリアス」の種類

 「ライブのやり直し」に大したカタルシスもウエイトも与えず、最終回を「美波のダウン」という別のドラマ中心に回したことからも、6話前後について製作陣にそれほどの覚悟も大構想もなかったのは明らかだ。

 本来であればラブライカも6話には弱くない関わりがある。ニュージェネレーションの巻き添えを食って初ライブの楽しい余韻を踏みにじられているのだから(メタ的に言えば、ニュージェネに尺を食われるかたちでラブライカ独自のドラマも事件もなかったのだから)、あの事件が作品にとって必然的なものであったのなら、最終回でラブライカが直面する障害も6話の事件と絡められているほうが筋が通る筈だ。が、そうなっていない。

 

 美波のダウンはストーリー上では伏線も理由もある(「リーダーとして重圧を受けながら頑張っていた」という)が、大きな流れや物語の必然性と言う視点では何の意味も無い唐突なダウンだった。デレマスのいわゆる重い展開・シリアス展開はこのような感じに「山場作り」という以上の意味やメッセージ性はない。

 そしてそれは批判されなければいけないことではない。作品に必ず実存的な意味やメッセージやお説教などが必要なわけはないのだ。

 

改めて、未央が泥かぶる意味はあったか?

 批判される必要があるのはやはり6話7話の未央の扱いだ。特別な意味やメッセージ性の無い「山場作り」であれば、未央がはまる挫折も美波達と同じ、不運や力量不足によるストップでよかった筈だ。何故1人だけ浮き上がって現実的なネガティブな人格を表出させられなければならなかったのか?

 未央のこのメタ的な特異さには何らポジティブな意味はなく、6話前後のネガティブな展開にもたいした必然性や覚悟はないとすれば、あれは単に「デレマスって優しいだけじゃないんだぞ」と格好をつけたり、もしくは炎上商法気味の話題取りをしたかっただけなのだ。

意味のあるメタパンチ、無意味なメタパンチ

 こういうことは全く持ってシリーズ構成者のくだらない自己満足でしかない。作品のそれまでのトーンを破るような「シリアスさ」の事件は、作品全体に対して重要な意味を持つのでなければただのくだらないハッタリで、唾棄されるべきだ。

 たとえば『まどか☆マギカ』3話を見てみればいい。あの回のマミの首を跳ねられ事件は虚淵玄による開幕宣言だ。作中の事件であるに留まらずメタ的にも視聴者にパンチを打ち込んでくる機能がある。そしてその事件からのち、二度と作品世界が事件以前のトーンに戻ることはない。

 それに比べて未央の事件は、「ここから現実寄りに辛いこともたくさんあるアイドル業界を描いていきますよ、『デレマス』は実はそういう作品なんですよ、ここから覚悟してお付き合い願います」…なんていう宣言ではまるでない。ただメタパンチしただけ。あの事件は作品にも作品内世界にもなんら構造的改変を起こすことなく、8話からまた何もなかったかのように元のトーンに戻った。

 こういうのは茶番と言う。こんな構成者の独り善がりの茶番の為だけに被害担当艦に落とされた本田未央が不憫でならない。