本田未央のまとう不快さ、もう一つの理由

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 前回のエントリでは本田未央の犠牲者性、しぶりんの盾としての捨て駒性、シリーズ構成者の独り善がりメタシリアスが生み出したヘイトを一身に背負わされる非業を論じた。

 だが、6話で見せる増長と愚かさを抜きにしても、未央には画面に出てきて喋るだけでも漂う独特の不快感がある。その正体について考察したい。

 

スクールカーストの頂点・本田未央

 まず我々は本田未央がどういう素顔の少女なのかを知らなければならない。

 シンデレラガールズのアイドル達はオフの時間の暮らしがどのようなものであるかについては意外なほど描写されない。特にこの年頃であれば人生の中心であろう、学校生活をどう過ごしていたかを断片的にでも示唆されたのは凜と未央だけだ。

 凜は孤高の孤立者であり、未央はクラスの人気者だった。 最大手プロダクションのアイドルになるような美少女の学校生活は概ねこのどちらかの類型になること想像に難くない。

 いち高校生としての未央は、飛びぬけた容姿を持ち、運動も得意、勉強も出来、アイドルを目指せば巨大な芸能事務所に採用され、それで居ながら嫉妬による孤立もせず男女問わない友達を大勢確保するほど立ち回り力・コミュ力も高い。

 ぶっちぎりでスクールカースト頂点であり、アメリカ青春ドラマに出てきたら悪役間違いなしの女王様だ。

 

ほの暗いアイドル・本田未央

 それを踏まえて本田未央の日常の仕草を見ていると、どうにも不快な違和感がたちのぼる。

 未央はあまりにも振る舞いがピエロなのだ。おどける必要の感じられない場面でも常におどける。より甚だしいのは喋り方と声であり、未央が何を喋っているときにもその発声には過剰な抑揚が込められている。凜や卯月と仲が深まってきてもこの抑揚は少しも変わらない。わざとらしい喋り方をし続ける。

 この処世術は女王の処世術ではない。むしろ「キョロ充」と言われるようなグループ末席の人間に多い振る舞いだ。自分の属しているグループに自分の価値が見合ってないと感じるときに、道化としてグループの楽しい空気に貢献することでそこに居ることを許されようとする。

 

理解できないための不気味さ、要警戒感

 女王人生を歩んできたはずの未央がどこでこのような痛々しい処世術を身に着けたのか視聴者にはさっぱり理解できない。理解できないまま、過剰抑揚の声を通して我々に浴びせられ続けるのは「本田未央が周囲に全く心を許していない」という無言語メッセージだ。

 難しい年頃かつ美少女を自認する個性的な十代少女たちを狭いところに集めているのに、傷付け合うこともなくみんなが屈託なく打ち解けてチームアップする奇跡のように優しい『シンデレラガールズ』の世界。 

 その中でも仲間達の輪の中心近くでムードメーカーのような顔をしながら、しかしその振る舞いからも声からも全く周囲に打ち解ける気のないことを視聴者の無意識に伝え続ける本田未央

 視聴者が意識出来ようと出来まいと、この異常感は見る者の無意識下の動物的警戒心を刺激する。「みんな笑顔だけど1人だけ嘘で合わせてる奴がいるぞ」という危険のシグナルだ。

 

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 未央のこの態度の1つのクライマックスも7話だ。自分が断ち切ってしまった凜とプロデューサーとの(そして自分との)絆を再度結ぶ為に2人に握手をさせようとする真剣なシーンだが、ここでも未央の発音は「しぶりぅぃん」だ。少しも素の声で喋っていない。お互いに胸を開き、相手に踏み込むしかない正念場で実はピエロの仮面をはずしていない本田未央。 最終回で美波のピンチについ普通に喋ってしまった蘭子と対照的だ。

 

本田未央の大先輩としての酒井法子

 そもそも、常にお調子者の顔を出し、おどけたことばかりやって見せ、声に過抑揚を込めて喋る人間とは明るい人間だろうか。違う。むしろ正反対だ。

 こういう人格の更なる発展系としていま思い出せる人物は酒井法子だが、酒井は覚醒剤事件で逐電・出頭逮捕・釈放後の会見で表情の崩れや化粧の崩れを微塵も出さずに泣いて見せた。

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 あの完璧な泣き方こそ、「自分は汚い素の泣き顔を他者に受け入れてはもらえない」という確信を持って長年生きた人間にしか出来ない(やらない)挙措だ。

 当時の一連の薬物検挙騒動で、同じく逮捕された押尾学や元夫のだらしなさと比べても酒井の進退はアウトローとして水際立っていたが、あれも他者に心を許さない厳しい人生を自ら課してきたゆえに身に着いてしまった何かだろう。

 

そこに意図はあるのか、ないのか

 こういう種類の人間はきちんと描くならフィクションの登場人物としても魅力的なモチーフになりうるが、『シンデレラガールズ』のような優しい世界には全くそぐわない。

 本田未央がこのような異分子として描かれる結果になったのは単に紋切り型「ムードメーカー」造形の雑さが担当声優の張り切りと変な風に噛み合った結果*1なのか、何か別の深い役割と意図があるのか、その答えを知るには2期を待たないといけないのだろう。

*1:

けいおん!』の田井中律の喋り方にも同種の不穏さがあった

本田未央というシンデレラガールズ唯一の犠牲者

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ネットの未央叩き(未央が憎いとは言ってない)

TVアニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』一期が完結した。

 どこまでも優しい世界と優しい視聴者に取り囲まれたシンデレラガールズワールドで1人不穏な情勢を身に纏っているのが本田未央だ。ネタ的な叩きやファン対立すら殆ど無いこの作品で、未央だけが唯一本気のヘイトを買っている。

 事務所内トラブル、仕事上の失態、人間関係不和、自意識過剰、赤恥、孤立、廃業、という現実世界のネガティブ面を一身に背負うのが未央ストーリーだったからだろう。デレマスワールドの完璧な優しさは未央という異分子さえ居なければ完成する。

  6話前後で激しく未央を叩いてた一部視聴者達は、本当にただストーリーに入り込んで本田未央という15歳少女の失態を憎んだのだろうか?違うと思う。むしろ未央回の未央を拒絶してラウドに叩くことで、そのストーリーを作った製作者にNOを突きつけたかったのではないか。

未央に汚れ役をさせた製作陣の思惑は?

   未央が背負わされた挫折と悲しみとネガティブさは、現実世界基準で見ればありふれたことだ。しかしデレマスの優しい世界で他のキャラ達のフィーチャー回と比べていくと、やはり1人だけ現実的なツラさと嫌さが際立っている。他のキャラ達に与えられる障害はおおむね力量不足や注意不足や不運によるものだが、未央だけは増長や逆ギレや当り散らし、という人格的な問題として現れている。周囲の人間の気持ちを踏みにじるような攻撃性を出したのもあの世界では未央だけだ。

 何故未央だけが悪目立ちするような一種の悪役・汚れ役を背負わされているのか?そこに相応の理由があればそれはむしろ「特別扱い」のキャラだが、そうでなければ「便利に使われた」にすぎない1人だけ粗末待遇のキャラだ。未央はどちらだろうか?

被害担当艦として使われた本田未央

 未央のユニット・ニュージェネレーションは最終回で「失敗したライブのやり直し」というほかのユニットには無いモチベーションを用意されていた。そういう意味では優遇的特別扱いかとも思える。が、ユニットの問題として設定するならば3人連帯による失敗なり仲違いがあったほうが自然ではなかったか。

 そうではなくほぼ未央単独で暴走させたのは、制作陣がネガティブ展開によってニュージェネレーションの3人まるごとイメージダウンしてしまうリスクは避けたかったからだろう。未央に突出して汚れ役をさせれば6話7話の視聴者ウケが最悪に転んでも商品として腐るのは未央だけで済む。特に渋谷凜は人気トップレベルを狙える素材で、変な味噌をつけるリスクは微塵も冒せないだろう。 

 こうして考えてくると「わざわざネガティブ展開をやる割には腹を括ってないのではないか?」という製作陣への疑念が生まれる。

デレマスで扱われる「シリアス」の種類

 「ライブのやり直し」に大したカタルシスもウエイトも与えず、最終回を「美波のダウン」という別のドラマ中心に回したことからも、6話前後について製作陣にそれほどの覚悟も大構想もなかったのは明らかだ。

 本来であればラブライカも6話には弱くない関わりがある。ニュージェネレーションの巻き添えを食って初ライブの楽しい余韻を踏みにじられているのだから(メタ的に言えば、ニュージェネに尺を食われるかたちでラブライカ独自のドラマも事件もなかったのだから)、あの事件が作品にとって必然的なものであったのなら、最終回でラブライカが直面する障害も6話の事件と絡められているほうが筋が通る筈だ。が、そうなっていない。

 

 美波のダウンはストーリー上では伏線も理由もある(「リーダーとして重圧を受けながら頑張っていた」という)が、大きな流れや物語の必然性と言う視点では何の意味も無い唐突なダウンだった。デレマスのいわゆる重い展開・シリアス展開はこのような感じに「山場作り」という以上の意味やメッセージ性はない。

 そしてそれは批判されなければいけないことではない。作品に必ず実存的な意味やメッセージやお説教などが必要なわけはないのだ。

 

改めて、未央が泥かぶる意味はあったか?

 批判される必要があるのはやはり6話7話の未央の扱いだ。特別な意味やメッセージ性の無い「山場作り」であれば、未央がはまる挫折も美波達と同じ、不運や力量不足によるストップでよかった筈だ。何故1人だけ浮き上がって現実的なネガティブな人格を表出させられなければならなかったのか?

 未央のこのメタ的な特異さには何らポジティブな意味はなく、6話前後のネガティブな展開にもたいした必然性や覚悟はないとすれば、あれは単に「デレマスって優しいだけじゃないんだぞ」と格好をつけたり、もしくは炎上商法気味の話題取りをしたかっただけなのだ。

意味のあるメタパンチ、無意味なメタパンチ

 こういうことは全く持ってシリーズ構成者のくだらない自己満足でしかない。作品のそれまでのトーンを破るような「シリアスさ」の事件は、作品全体に対して重要な意味を持つのでなければただのくだらないハッタリで、唾棄されるべきだ。

 たとえば『まどか☆マギカ』3話を見てみればいい。あの回のマミの首を跳ねられ事件は虚淵玄による開幕宣言だ。作中の事件であるに留まらずメタ的にも視聴者にパンチを打ち込んでくる機能がある。そしてその事件からのち、二度と作品世界が事件以前のトーンに戻ることはない。

 それに比べて未央の事件は、「ここから現実寄りに辛いこともたくさんあるアイドル業界を描いていきますよ、『デレマス』は実はそういう作品なんですよ、ここから覚悟してお付き合い願います」…なんていう宣言ではまるでない。ただメタパンチしただけ。あの事件は作品にも作品内世界にもなんら構造的改変を起こすことなく、8話からまた何もなかったかのように元のトーンに戻った。

 こういうのは茶番と言う。こんな構成者の独り善がりの茶番の為だけに被害担当艦に落とされた本田未央が不憫でならない。